「魔笛」と女神イシス
先日、モーツァルトの歌劇「魔笛」がNHK BSで夜中に放映されていました。
20年くらい前に映画「アマデウス」を観て以来、この「魔笛」に出てくる夜の女王のアリアが好きで好きで、2枚組のCDを持っているくらい。闇をつんざくようなソプラノと、人間ワザとは思えない超絶技巧がたまりません。衣装もハデでカッコいいし。なんたって唄の題名が「復讐の炎は燃えて」ですよ! あぁ、こわいこわい。この場面になると、「出〜〜〜〜た〜〜〜〜!!」と、ほとんどホラー映画のノリで大盛り上がりします。
40秒あたりのドヤ顔は見モノ。
でCD聴いたり、youtubeで様々なバージョンを見たりしては「やっぱりいいわ〜〜♪」と、一人悦に入ってたんですが、よくよく考えたら、私は「魔笛」を一度も通して観たこともなければ、ストーリーをくわしく把握しているわけでもなかった!
でも、アレでしょ?鳥の妖精や動物や夜の女王が出てきて、王子が囚われた王女を探しに行く話なんでしょ?「真夏の夜の夢」みたいなヤツなんでしょ?
とか勝手に思っていたんですが、今回全部観た結果(長かった!全編で3時間以上…)、ぜんぜん違うことがわかりました。(以下、ネタバレになりますので読むか否かは自己責任でどうぞ)
まず、舞台がエジプトだった。ドイツでもイタリアでもフランスでもなくて、エジプト。
どうもイスラム風の衣装着た人や、ピラミッドが出てくると思ったら…。そしてロマンチックなお伽噺なのかと思いきや、これも違った。ストーリーは極めてねじれている。途中からはやたらと「精神性の高さ」にこだわるようなセリフが増えて、話は思わぬ方向へ。
最初は「悪魔」よばわりされてた登場人物が、後半はスピリチュアルな長とされて、あがめられてたり。そして王女(=夜の女王の娘)を救出するために旅に出た王子だったのに、途中からいきなり精神修行に入ってしまい、せっかくみつけた王女と口をきかなくなるわ(敵の神殿に入ってイニシエーション受けてる場合か!)。最初は被害者だった夜の女王が、後半は極悪人にされてるし。
で、随所に出てくるセリフや概念が、やたらとスピリチュアル。
「精神性、徳の高さが何より大事」
「意識を高く保つさい、女の存在はジャマである」
「オシリスとイシスの神よ」
姫救出劇が、途中からSTAR WARSチックな「光と闇の闘い」になっている!
「夜の女王から太陽神を取り戻した!」とかって、みんな喜んでるし。しつこいようだが、ロマンチックなお伽噺はどこへ…?
どうにも釈然としないので、見終わったあと調べてみたら、当時モーツァルトは秘密結社フリーメイソンのメンバーで、この戯曲にはフリーメイソンの思想がふんだんに盛り込まれてるんだそうです。どうりで、やたらとタロットチックな世界が繰り広げられてると思った。モーツァルトがフリーメイソンのメンバーだったことは、知ってはいましたが。
劇中に出てくる教団があがめる女神イシスとは、まさしくこの人のこと。
……というわけで、タロットをやっている人には「魔笛」の鑑賞、オススメです。光と闇の逆転劇、両側から世界を見るモデルとしても。ふつうにエンターテインメントとしても楽しめますし。謎解き本もけっこう出ているみたい。
●魔笛—「夜の女王」の謎 (オペラのイコノロジー) /長野 順子
●魔笛—文明史の劇場/塩山 千仞
●魔笛 ─ 秘教オペラ/ジャック シャイエ
興味をもたれた御仁には、こちらのサイトもオススメ。
「歌劇 『魔笛』の魔法はキッチュである」池田博明
これを読むと、中世〜近代の女性蔑視の系図なんてものもなんとなく伺えます。「夜の女王」は生命エネルギーの象徴で(=あらゆるものを産み、育くむ母性社会)、それを支配階級の男性たちが「魔女」と恐れたことから、知性や理性ばかり追求し、自然な本能や感覚を閉じ込める社会ができあがり、今日に至ったことがわかります。
どっちがいい悪いとか優れているかではなくて、両方の融合が大事なんでしょうね。一般にこんなにスピリチュアルなことが流行ること自体、理性や科学ばっかり押し進めてきた社会(=男性社会)が限界を迎えて、バランスを取り戻そうとしてることの表れだと思います。
あ〜〜、早くそっちの逆転劇もおこらないかしら〜。