偉大なるアーティストとの日々

ここ1ヶ月ほど、偉大なるアーティストに会う機会が多いです。

現在、カルト映画の巨匠であるアレハンドロ・ホドロフスキー監督が来日していて、昨夜のDOMMUNEでのUstreamには釘付けに!

彼は長年のタロット研究家でもあって、フィリップ・カモワン氏とともにカモワン・タロットを復刻させたりもしています。
実はあさっての土曜日、ホドロフスキー監督主宰の座禅会に行くことになっており、これがもう楽しみすぎて……(ホドロフスキーは「禅思想」に傾倒していた時期もあるようです)

占星術の世界では現在グランド・クロスで大盛り上がりですが(詳しくはこちらを)、このめったにない激しい星回りの時期、物質主義の最たる国であるアメリカのトップと、精神主義の権化のようなホドロフスキー監督がそろって日本にいるという状況が、なんだか白昼夢のようだわと思ったり。

一月ほど前は、詩人の谷川俊太郎さんの朗読会に行ってきました。

息子さんである音楽家谷川賢作さんとの2人会。
つくづく思いますが、本物とか巨匠と言われる人は肩の力が抜けていてどこかユーモラスですね。

賢作さんとの息もピッタリで会場は笑いに包まれ、阿佐ヶ谷がご自身の地元ということもあり、終始なごやかに進行されていました。私は知らなかったのですが、最近取り壊されてしまった「阿佐ヶ谷住宅」の話が出てきて(根強いファンがいる文化住宅地だそう)、ちょうど行きにバスでその跡地を通ってきたこともあり、谷川さんの生活圏を覗かせてもらっているような気分になりました。

会の最後には、あの「生きる」を朗読してくださり。思わず、落涙。

4月の頭には、下条ユリさんの個展「メメント・モリ」へ。

前年の京都での展示には行けなかったので、今回の巡回展はぜひとも!と、万難を排して浅草の会場へ。

会場は、江戸後期に建てられた蔵を改装したギャラリー。内部は漆で塗り込められていて、下条さんの絵が置かれることで、独特の空気感がつくられていました。

作品はどれもどことなく生の哀しさ・死を連想させるものばかり。生半可な気持ちでは対峙できず……。あとからあとから来る人々も瞑想するようにボーッと絵を見つめ、ときが止まったような空間がつくられていました。

90年代に売れっ子イラストレーターだった下条さんは渡米したのちシリアスなアーティストになり、昨年からまた日本に戻ってきています。

雑誌などでたまにお顔は拝見していて、イラストレーター時代の陽気でハッピーな作風も大好きでしたが、今の静かな作風もまた彼女らしいなと。時代の変化、自分の変化、彼女の変化とがピッタリ合っているような気がして。
今回初めてお会いして少ししゃべらせてもらい、握手までしていただいて(下条さんとの共通の知人の話をしたら、少し親近感を持ってくださったようです)、帰り道はその余韻でボーッとしてしまいました。

アートは心の糧です。
よくよく考えたら、とてもぜいたくな日々を送っていますね。