オババとの和解
先日の私の命占タロットの内容に補足&訂正がありまして(師匠からのご指摘でした。ありがとうございます)。記事に追記しております。よろしければ後半読んでみて下さい。
昨夜はTVで「天空の城ラピュタ」をやっていました。
もう何度観たかわからない作品ですが、宮崎アニメの中では3本の指に入るくらい好きです。
家族と観ながら、「宮崎アニメって絶対、ものスゴいかんろくのあるおばあちゃんが出てくるよね〜」という話になりました。
このふくよかな胸!確信に満ちた目つき!何事にも動じない体重!(笑)→
ナウシカの大ババ、ラピュタのドーラ、千と千尋の湯婆婆……
そして必ず、線が細くていたいけな少女が世界を救う(変える)役目を果たす。宮崎駿さんは、体感的に「本当に世界を支えているのは女性」ということが分かっている人なんじゃないかと。
前述したおばあちゃん達って、まさに「肝っ玉母さん」といった風体ですが、つい最近までの私は、こういう人が苦手でした。そしてタロットの「女帝」のカードも大嫌いでした。
ふくよかな女性が自然の中でゆったりと座っているこのカード。自然と繋がりながらものごとを産み育て、繁栄させる女性原理を表しています。愛や受動性に満ちた態度や、女性特有のやわらかさ、おおらかさ、共存する力。
言ってみれば、「おっかさん」ですよね。
以前も書いたんですが、私はどうもこの「おっかさん」というパーソナリティーが激しくダメみたいです。このカードから私が連想する女性はこんな感じ。
●頼んでもいないことを先回りして勝手にやる。
●人のことを「あんたは○○だから」と勝手に決めつける。
●周りにかまわず大声でしゃべる。
●自分がいちばん正しいと信じ込み、人がどう思うかなどと考えない。
●おおざっぱで、細かい部分を見ていない。言ったことを忘れる。
●人が落ち込んでる時に、まったくズレたことを言う。
おっかさん…というか、ある程度歳のいった女性のマイナス面ですね。
「あーた、それは自分の母親と関係がうまくいってないからでしょう!」と思われそうですが、私の母親はこういう女性像からはかけ離れた人です。
むしろこの像は父方の祖母からきてますね。決してキライではなかったのですが、近寄りがたい人でした。太った「女ボス」という風体で、声もドスがきいていて、幼い子どもにはひたすら怖い存在でした。
あ、今、こういう人が苦手だと思った最初の出来事を思い出しました!(唐突)
祖母の妹がこれまた祖母にそっくりな人だったのですが、
その人の家に遊びにいったときのこと。自分は4〜5才くらいだったかな。
ただでさえ知らない人の家で緊張してるのに(そのオバさまとは初対面だった)、そのオバさまは「飯食うけ?」と、さっき食べたばかりだからいらないという声を無視して、お茶碗にゴハンを盛りだしたんです。それも大人サイズの茶碗に大盛りに。食べたくないと言うと、「なーにぃ?ダメだよ、そんなこと言ってると大きくなれんよ〜!」という言葉が。
だいたい子どもがそんな量食べられるわけないし、当時の私は食が細かったので、量の多い食事を強いられることはもう拷問。「大きいのがいい」みたいな田舎くさい発想も嫌だった。で、そんなデリカシーに著しく欠けるオバさまの存在まるごとに、もう耐えられなくなったのです。
このオバさまに限らず、ついぞ最近まで肝っ玉かあさん的人物は、私の中で「不快なプレッシャーを与える人」でしかなかった。言ってみれば、「私の選択の自由を奪う存在」。(写真は「肝っ玉かあさん」女優・京塚昌子。今の若い人にはわからないだろうな〜)
ところが今年の夏前くらいから、これだけ嫌いだった「女帝」のカードをいきなり好きになっていたのですよ。不思議なこともあるもんだ。
…それはなぜか?
この時期、おっかさん的な女性に助けられたり、いい面を実感させられたりする機会が何度かあったからだと思います。それで、「ああ、懐に飛び込んでみれば、案外心地いいものなんだなぁ」と気づいたわけなのです。寝返った人間は早いですよ。あっという間に懐きますからね。まぁ、どちらにせよポジティブな出来事なので、万々歳です。考えてみたら、このおっかさんて魔女ですね。そりゃ魔女には勝てんわ〜。
ところでちょうど去年の今頃、「トレガー&タロットで自分を知るワークショップ」というものを主催しまして。どのカードが好きか(嫌いか)?、それはどうしてか?などを掘り下げていくと、おのずと自分が見えてくるという内容だったのですが、まさか翌年自分がここまで変化するとは。
自分を知るツールとしてのタロットは、ホントに面白いです。